人を観る事
「観る」。
っていう行為って、とっても大事だと思う。
スト―カ―になったらアカンよ(笑)
そういうんじゃなくてさ。
人を人としてちゃんと観てあげる、っていう事。
抽象的でわかりにくいかもしんないけど...
世間のスピ―ドってめっさ速いから。
家族、友達、同僚、上司、お客さん、通りすがりに話す事になった人....
まぁ、相対した人、ですよね。
これを機械的に右から左に受け流したりする事もある訳ですよ。
忙しいからね。
ひとりひとり観てらんないもの。そりゃ、わかる。
だけどね、実は、「観る」ってのが、これがまた、とっても大切な事なんよ。
なんか、仕事で問題が起こるじゃない?
家族や友達との間にも問題が起こるじゃない?
子どもが居たら、子どもにも問題がふりかかるじゃない?
その時に、人はどうしても「起きた出来事、問題」のほうに目が行きがちなんだよ。
「クレ―ムがあった」とか「商品の品質が低下した」とか「嘘をつかれた」とか「子どもがイジメにあった」とか、ね。
でも、そこで、いったん問題や事象から目を離してみて、「人」のほうを観てみてほしいな。
詰まり、働いてる職場の「人」を、「従業員」を、「家族」を、「友達」を、「子ども」を。
それも、起こった問題とは切り離して、フラットな目で「人」を観てほしい。
そうすると、色々見えてくるよ?
大体ね、この世の中の問題って、全部、「人の不満」、「人の不安」から発生してるんだから。
表面上の事象だけ解決しても意味ないもん、だって。
人をちゃんと観てあげて、その人の不満、不安を取り除いてあげる方向性で進めていったら、ホントの意味で問題は解決するよ。
「人」は「物」じゃないからね。
こんだけ世間のスピ―ドが速いとさ、人を人として見れなくなってきちゃうんだ。
それって悲しいよ。
寧ろ、ちゃんと「観る」って事をしてあげたら、具体的に何もしなくても問題が解決しちゃうほどなんだよ。
不思議な事だけどね。
そういう境地というか、技を使うには、自分自身が、寛大で、フトコロ深く、大きな湖のような心である必要はありますね。
自分がそうある事で、相手もそういう状態に引っ張っていく事が出来るもんです。
常にフラットで居るのって難しいですけどね、世の中忙しいし、世知辛いから。
.......
で、「観る」。と云っても、そっから過度に干渉したりするのもダメかも知れない。
大切な人に対して、どうしても人って、あれもしてあげたい、こうしたらあの人がもっとイイようになるんじゃないか、なんてついついやっちゃうんですよね。
でも、相手の為と云いながら、実は自分の思い通りになって欲しい!ってな願望が無意識的にあったりする場合も多くって。
ありがた迷惑になってしまってる事も多い。
真の意味で、自分自身を助けられるのって、自分自身だけだから。
こっちが助けてあげようとしても、本人が「今のままでいいや」、とか「変化はいらないよ」、って思ってたら、全然なんにも変わんないから。
それに、こっちが変化を起こしてあげようとしている先に待っている相手の人生が、相手にとって、本当に幸せなモノとは限りませんからね。
難しい話になっちゃいますけど。
だから、もうホント、「観る」。
それだけで充分だと思います。
勿論、相手が具体的に助けを求めてきたら、助けてあげればいいと思いますが。
例えば、子どもに対しても、親だからって、別に何か特別な事なんてしなくてもいいんですよ。
「親」という漢字は、「木の上に立って見る」とバラす事が出来ます。
詰まり、少し離れた所から、手を出さず、しっかり「観て」あげてればいいんです。
それに、子どもの精神状態って、幼ければ幼い時期ほど、親の精神状態とリンクしてますから。
親がイライラしてたら、子どもも泣いたり、アトピーが出たりするんです。
だから、親自身が気持ちを落ち着かせて、ゆったり、どっしり構えてる事こそが、何をするよりも子どもにとってタメになるんですよ。
まぁ、第一子とかで、はじめての子育てとかだったら、お母さんもかなりテンパるだろうし、イライラすると思うんですけど、それが赤ちゃんにモロに伝わってしまって、赤ちゃんが原因不明の病気とか肌荒れになったりする、っていう悪循環を引き起こしちゃってるんですよね。
.....何もしなくたって子どもは育ちます。
(勿論、食べ物を食べさせたり、オシメを変えたり、最低限度の事はしてあげて下さいよ)
教育ってのは子どもの為というより、実は親の成長の為にある儀式みたいな側面もあると思いますよ。
子どもに学ばせてもらう、くらいの軽い気持ちで居れば、問題は限りなく少なく済むでしょう。
んで、これは、対 子ども だけじゃなくて、すべての人との対人関係にも当てはめられる法則なのでした。
.......
.....スンマセン、若造が偉そうにズカズカ云ってしまって。
でも、少しでも誰かの為になれば、と思って書きました。