窓際族より胸いっぱいの愛を

(You Can't Always Get) What You Want ?

現在足りないのは「パンク」の精神だよ。

「僕はパンクロックが好きだ」。

(ブル―ハ―ツかっ!(笑))


日本のパンク音楽って、これまた聴いたア―ティストによっても印象が180°変わってくると思うが、「青春パンク」なんちゅう言葉が表すジャンルに所属している(本人達が所属した訳じゃなくて、勝手に入れられたんだと思うが)ア―ティスト、バンドに関しては、僕はちょっとよく解らない。



解らない、というか、僕の思うパンクとはかなりかけ離れている。


「じゃあ、お前の思うパンクってのはどんなもんなんだよ」


って云われると、これ非常に回答に困るのだ。



自分なりにメチャメチャ考えた。

考えに考え尽くして、そしてとうとう解らなくなった......



途方にくれる、とはこの事である。



そもそも、「ロック」にしてもそうだが、そのジャンルや文化が生み出されてから、時間が経てば経つ程、解釈の幅がどんどん拡大していくモノで。



じゃあ、「一番最初の概念」が正しいか? というと、そうでもない所があり、後に付け加えられた要素のほうが明らかに優れていたり、または、最初の概念も間違ってはいないが、今現在の時代に合っていないから不採用、なんて場合もママある。


だから、「何が正しい、という事もない」し、「個人々々が自分の価値観で都合のイイ様に解釈していけば良い」と思う。



........更に云えば、「相反するモノは表裏一体である」という究極の法則もある。


光と闇、正義と悪、男と女、平和と戦争、平等と差別、革命家と独裁者、警察とヤクザ.......


なんでもいいが、一方に特化し過ぎると、究極の地点まで到達すると、くるっと反転して、まるでリバ―シブルの服の様に真逆の要素に変身してしまうのである。


オカシな話だが、これは事実だ。



詰まり、少し穿った見方になるかも知れないが、「相反するモノは同じである」とも云える。



この法則を知った時、僕は「何かを批判するという事」について、その行為自体が「無意味」に思えてきてしまったのである。(と、云いながら「青春パンク」批判してるやんって?(笑))


例えば、「赤」を猛烈に支持して居たとする。


だけど、上記の考え方でいけば、真逆の「青」の要素も「赤」は確実に孕んでいるモノなのである。


だから、「赤」は確かに素晴らしいし、いいと思う。

でも、どうせ、「赤」も、「青」っぽい所もよくよく観察すると矢張ある訳だし、そう思うと、急に熱が冷めてきて、とどの詰まり、「赤」も「青」もおんなじだよなぁ、なんてなるのである。

僕の頭の中では、だが。



そして、「赤」にしたって、真逆の「青」という概念が存在してこそ、存在出来ているのである。



「赤」を支持している人達は、その時は恐らく「青」の事を猛烈に批判するだろう。


しかし、そもそも「青」がなければ、その人達の生きがいになっている「赤」も存在し得ないのである。


寧ろ、「赤」と「青」、その真逆の存在が、お互いに引き立てあっている構図にもなっている。


「赤」と「青」にはなんでも代入出来ると思うが、この世界はそうやって廻っている。



そこで、このヒネクレ者の僕はどうするか、というと、「赤」にも「青」にもどちらにもつかず、「フラット」で在り続けるか、もしくは退屈しのぎに「赤」と「青」を混ぜ合わせて「紫」なんかに出来ないかなぁ? なんて考えるのだった。


........で、そうやって「紫」とか創ろう、なんていう発想も、僕の中ではある意味「フラット」であろうとする事に似ていて、それって「中庸の徳」などという概念の匂いもして.......


なんか、「パンク」っつったら、もっとトンガってて、「ぶっ壊す!」「究極まで行くぜオラ―!」「白黒つけろや、この野郎!」みたいな感じもあり。


そんな「フラット」だとか「中庸の徳」だとか「涅槃の境地」みたいな、いわゆる「お前は仙人かっ!」っていう概念とは全然違う筈なんですが、僕は妙にそういう事に納得してしまうし、自然にそこにおさまろうとする所がある。



結構、ヒネクレた人間のつもりで居るんですけどね、自分では。


で、確かに僕の中にも「白黒つけろや、この野郎!」的な所もあるし、「フラットでいこうよ、フラットでさぁ」みたいな所もあり、割合としては50/50である。


これは、前述した「相反するモノは表裏一体である、もしくは同じとも云える」で説明出来るんですねぇ、これ。


だから、まぁ、僕の思う「パンク」ってのはそういう感じのモノなんですよ。
(ぜんぜん説明出来ていませんねぇ、ハイ(笑))


でも、このバランスをとっていく.....みたいな生き方は、道化師的であり、詐欺師的であり、目は死んだ魚、よく云えばお釈迦様の目となってゆき、最終的には、「なんでもいいんじゃな~い」ってなる。

「仏の〇〇」ってヤツですな。



..........全然「パンク」じゃねぇじゃん!!


って思うかも知れないけれど、パンクロッカ―(パンクス)って、結構やさしくて、謙虚な人が多いんだよ。



暴れる!ぶっ壊す!体制をひっくり返す!


そんなんもパンクだと思うし、僕もそういうの好きだけど。



でもね―、僕は今はちょっと違うかなぁ。歳かなぁ(笑)


具体的にゃ、ジョンレノンとか、カ―トコバ―ンとか、トムヨ―クとか、あのへんが僕が長々話した要素をよく理解した上で、パンクっぽい事してんなぁ、とは思いますねぇ。


詰まり、彼らにはなんか共感しますねぇ。

内、2人は死んでるけどねぇ(笑)


だからね、勿論、「青春パンク」でもなんでもいいんですよ、別にねぇ。


でも、なんか................これはもうかなり微妙なニュアンスっていうか、感性の部分なので、わかんない人はわからないと思いますが、ロックにしても、まぁ、当然パンクにしても、結局、もっと「疲れてる」筈なんですよねぇ(笑)


意味、解ります?(笑)


それこそ、「I'm So Tired」じゃないけども。

元気はつらつ、パワー全開のロックバンドとかパンクバンドの、特にそういうボ―カルとか見てると、「なんか、考えてんのかなぁ(笑)」ってなるんですよ。



多分、マジでパンクの世界観を探究した上でステ―ジに立って居るとしたら、そいつは、なんというか、もっと疲れてんじゃないか、と思って。


だって、疲れますよ? 

色んな事考えるんだもん。しかも、考えても考えても答えなんぞいっこうに出る筈もない様な禅問答みたいな事をね。


だったら、そりゃ、くたくたでしなびてる、とか、そんな筈はないけれども、なんとなしに、そういう雰囲気というか、目は死んでて、たたずまいもなんだかヤルセナイ様な感じで、このどうにもならない気持ちをどこにぶつけりゃいいんだ、この野郎!.....みたいになってるもんじゃないか、と。


まぁ、ステレオタイプな例かも知れませんがね―。


最近出てくるロックやパンクの奴らを見てると、何だか元気いっぱいで、「一生懸命頑張りますっ!」みたいな奴らが多いから(笑)


「一生懸命頑張らなくていいって。」って云いたい。


だって、そもそもパンクなんて、世捨て人の音楽だっての。本来は。

「No Future」ですよ。勿論、何もかも放り出している訳じゃないですがね。


タモリがよく「やる気のある者は去れ」と云っているが、それを聴いて、「パンクやなぁ~」って思いましたけどね。

「パンク」って、そんな感じだと思うんですよ。


......で、ロックにしても、取り合えず現在、いまいち盛り上がりに欠けてると僕個人は勝手に思って居るんですが、若い奴らで、そういう感覚の解る奴らが居ないからなんじゃないかな、と。

そう思って居るんですよ、僕は。


「ロックスタ―」ってのはね、そういう人だと思うんですよ。

みんなで一緒にいえ―い!.....ではなくって、もっともっと孤独な存在なんですよ。

孤独であればあるほど皮肉な事にカリスマ性も上がる。


誰にも解ってもらえない。だけど、一人で、とっても高い所まで到達してる。

誰もついて来れない。「ぼっち」ですよ。



それこそが、「ロックンロ―ルスタ―」なんですよ。


...........で、何の話だったんだっけ?わけわかんね(笑)

オシマイ。