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ミスチル 「BOLERO」考察1

今回はミスチルの6thアルバム「BOLERO」を考察していきたい。


「BOLERO」を出し、ツア―を行った後、ミスチルは少しの間バンド活動を休止する。


どうも当初からその予定だったらしい。


そりゃそうだ。
「Atomic Heart」でバ―ン!と大成功し、世の中にミスチル現象なるモノを巻き起こし、一時は日本版U2とも云える程の破格の活躍を見せていたミスチル
 
(90年代後半はGLAYにその役割は移った)


しかしながら、「Atomic Heart」の後に発表されたアルバムが、「深海」だった事からも分かる様に、いきなり有名になったミスチルメンバ―に襲い来る様々な罠、誘惑、喧騒、不安、躁鬱.......


その乗り越えかたが分からずに、音楽界の頂点に立って居るにも関わらず、当事の桜井は「死にたい、と何度も考えた」という。



不倫も彼なりの自分を救う為の必死の打開策だったのかも知れない。(などと云うと反感を買うかも知れないが.......)


もっと阿呆になって、好きな様にやらなければ、こんな事を真面目にやり続けてたらオカシクなっちゃうよ!という。


スタ―の自分、世間の視線、マスコミ、ありとあらゆるクソみたいな事、自分自身に嘘をついている状態、醒めきっている脳ミソ、道化師を演じ続ける滑稽さ........



それらのプレッシャーに負けたのが「カ―トコバ―ン」だと云えるだろう。


彼はある意味、真面目過ぎた。

真面目過ぎる男はロックスタ―には向かない。



リアムギャラガ―ほどのド阿呆もどうかと思うが、世間のパワ―を自分が寧ろ飲み込んで、栄養素にかえていけるくらいの傲慢さが必要なのである。



世間はロックスタ―に現実は求めていない。

非現実であればこそ盛り上がる訳だから。


ライブにもそういう非現実的なパワ―の塊と化したロックスタ―を、ファンは観に行くのだからして。


わざわざライブでも紳士的である必要もない。


ライブに来たファン全員の生気を全部吸い尽くしてやるぜ! くらいの心持ちでやればいい訳だ。



「楽しませてあげなきゃ.....」ではなく、

「楽しませてくれよ!」っていう傲慢さ。



ビ―トルズの曲、「Please Please Me」とは、そういう意味らしいですよ。

ロックスタ―は傲慢で、非常識でいいのだ。



.........で、大脱線しておりますが(笑)

詰まり、通常の流れならば、この「BOLERO」というアルバムは、「Atomic Heart」の次に出されてもオカシクない、というか、そうなるべき筈のアルバムだと思うのだが、ミスチルは「深海」を選択した。


これはかなりの冒険だと思うが、シングルヒットもあるし、相変わらず素晴らしい曲は出来るし(「名もなき詩」や「花」など) 「ちょっと普通とは違う事やってみようぜ―」的な余裕すら僕は感じるのだが、当事の桜井自身は相当参っていたみたいである。



ただ、この一連の流れにはどうもプロデュ―サ―である、「小林武史」の陰謀というか(笑) シナリオが透けて見える気がする。


こう云っちゃなんだが、小林武史は、天才、桜井和寿の苦悩というか受難を把握し、「ひとりの悩める青年の物語」としてウマくまとめあげ、まんまと「深海」という名作を創り出したのである。



小林武史と云えばプログレ好きなイメ―ジがある。

ピンクフロイドやキングクリムゾンなどが大好きなのだろう。


実際、「深海」の曲のアレンジや、アルバムの構成、展開にはそういうプログレ的なアプロ―チ(意匠)がかなり施されている。


ただし、桜井和寿も当然音楽は聴くだろうが、小林武史ほどマニアックではないだろうから、要は何が云いたいかというと、小林武史の過剰なプロデュ―スにミスチルのメンバ―がついていけてないフシがある。



だから、「深海」は、「なんちゃってプログレ」になっている。


小林武史は、自分が若い時に出来なかった事、やりたかった事を、ミスチルというバンドと、桜井和寿という天才を最大限に使って成し遂げてしまおうという魂胆があったように思える。



意外に素直な桜井和寿という人は、はじめのうちこそ従っていたものの、「Atomic Heart」、「深海」、そして、よく解らない「es」などという概念を軸にプロデュ―スされるにつれて(『es』なんていう、ミスチル主演の映画まで制作された!)、「俺ってどんな音楽やりたいんだっけ?」ってなり、2人の間に亀裂が生じる事になる。


それが限界をむかえていたのが、「BOLERO」や「DISCOVERY」の時期だと思うのだ。


「深海」は暗いが、実は時期的に「BOLERO」の時のほうがもっとドロドロしていた筈である。


実際、落ち着いて考えると、この「BOLERO」というアルバム、内容はかなり複雑で矛盾だらけのアルバムだ。


「深海」に入らなかった大ヒットシングル達。

Tomorrow Never Knows」「everybody goes」「Theme of es」「シ―ソ―ゲ―ム」などは、これらの中にも苦悩は描かれているものの、甘酸っぱい青春期な感じである。



「辛い事もある、でも頑張るしかないんだ、僕らは」

みたいな感じなのだが、シングル以外の曲、例えば、「Brandnew my lover」「傘の下の君に告ぐ」「ALIVE」などは、下手すると「深海」より皮肉度が増し、青春は灰色になり、完全に現実社会でもがき苦しむリアルを歌っている。



青春期とドロドロがないまぜになっているのだ。



まぁ、こんな事になったのも、このアルバムを素直に「Atomic Heart」の後に出さなかったからなのであるが、ある意味ではオモシロイ構成になったかも知れない。
統一感はないし、完全にベスト盤的な投げやり感もあるアルバムではあるのだが。



そもそも、「深海」と「BOLERO」は姉妹品の様な感じがあり、2枚組でホワイトアルバム、なんて手もあったかも知れない。


良曲が一時期の間に集中して出来すぎる、という嬉しい悩みのような状態である。



例えば、ラルクアンシエルならば、1999年にそういう状態をむかえ、彼らは「Arc」と「Ray」という2枚のアルバムを同時に発売する、という手法を取った。



しかし、ミスチルは、あえて94年から95年にかけて大ヒットしたシングルをすべて脇へ置いて、まったく逆のベクトルである「深海」というアルバムを間に挟み、その後、脇へ追いやっていたシングルを全部収録した「BOLERO」を発売する、という非常にトリッキーな手段に出た。


これが、結果的に良かったのか悪かったのかはよく分からない。


実際、「深海」は200万枚、「BOLERO」は300万枚を売り、商業的には大成功をおさめている。



アルバムの内容も、「BOLERO」は少し反則技な気もしないではないが、質の低いアルバムな訳もなく。

寧ろ、もし、ミスチルをまったく知らない、今の世代のロックファンの少年達が遡って聴いたなら、その完成度に驚かされる事だろう。


新しい世代には、どれがシングルで、どういう順番で発売されて、どんな感じの意味合いをもっていたのか、などは関係ないのだから。



単純に聴くだけだ。



そうすれば、凄まじい曲のオンパレ―ドという事になる。
何の問題もない...........のではあるが、実は僕が最近、というか、ずっと懸念している事があって。



それは、一つの作品があるとする。

例えば、一枚の音楽のアルバムがある。



それは、どんなミュ―ジシャンが、どんな時期に、どんな気持ちを込めて創りあげたのか。



これを知るのって実はとても大切な事なのではないだろうか、というモノである。


別にそういう裏事情など知らずに、素直に、純粋に、音楽としてだけ聴いてもいいとは思う。


しかしながら、特にこれから「ア―ティストを目指す」ような人達は、そういう裏事情などまで突っ込んで探究する事で、作品の全然違う面が把握出来るのではないかと思う訳であり、そういう事をする人でないと、深い感じの作品を、自分自身でも創れないのではないか?.....と思うのである。


あくまで僕個人の意見であるが。


だから、上記の様に、長々と「深海」や「BOLERO」の頃のミスチルの裏事情を書いてみたのであるが、どうだろうか?



..........で、ここからやっと「BOLERO」の収録曲の考察に入っていく訳ですが(笑)

長くなったので、次回に続く、という事で、ヨロシク!