窓際族より胸いっぱいの愛を

(You Can't Always Get) What You Want ?

日本の芸能界の今後を憂う

「あえて言おう、カスであると。」


その昔、ガンダムの登場人物のギレンは云った。



同じ事が、TV業界、音楽業界をはじめとした、いわゆる「芸能界」に云える。


大きなモノに喧嘩を売ってるような感じもするが、あくまでも相手を愛するがゆえの発言であると、ご理解頂きたい。


「今のTVは詰まらない。」

「今の芸能界は詰まらない。」


そういう事である。





なぜ?



では、逆に、「オモシロイ」という状態について考察してみよう。

何も難しい話ではない。


90年代の半ば、絶頂期をむかえていたダウンタウン松本人志が出版したエッセイ、「遺書」には、その事がとても分かりやすく書いてある。




「楽しい」と「オモシロイ」はまったく違う。




これが答えである。


松本人志の言葉には何度も目からウロコが落ちてきたが、この言葉が今のところ一番かも知れない。


詰まり、「楽しい」とは「予定調和」である。

みんなで楽しく、ル―ルを守って仲良しごっこ♪である。
少し誇張し過ぎているかも知れないが、おおむねそんな感じだ。


「楽しい」空間を創り出す事の出来る人を「ム―ドメ―カ―」と云う。


が、いっぽうで、「オモシロイ」とは何なのか?


それは、「想定外」である。

「ハプニング」とも云う。


詰まり、予定調和の真逆の事態である。



人は、想定外の事が起きた時のみ、「オモシロイ」と思う動物なのである。


だから、TVや芸能界が詰まらない、オモシロくない、という事は、そういう世界に「想定外」がなくなってしまったから、という事になる。


「トラブルメ―カ―」が居ない、とも云える。


ね、簡単な話でしょう?


まぁ、解決策なんかについては難しいお話になってくるのかも知れませんがね(笑)


だって、TVに映る芸能人や芸人はみんな(小)賢いイイ子ちゃんばかりだし、誰もアブナイ奴が見当たらない。


「そういう時代なんだよ。」


「クリーンなほうがイイじゃないか。」



....そういう意見もあるでしょう。

しかし、皆さん、結局BIG3頼みでしょう?

たけし、さんま、タモリ


紳助は消えてしまったが、復活を待望されるほどの状況である。
ある意味、かなり情けない。


所ジョ―ジ、鶴瓶、有吉、マツコデラックス

ダウンタウン爆笑問題はまだイイとしても、とんねるずウッチャンナンチャン、ナイナイなどは、僕個人としてはオモシロイとはもう思わない。



それに、黒柳徹子に三輪明宏といった芸能界の創世記から存在している様な人物達だ。


いずれにしても、TVは80年代中頃にピ―クをむかえ、その後は緩やかに下降線をたどっていった。


90年代から2000年を過ぎてからも、様々なキャラクタ―が登場したものの、結局、BIG3の代わりにはなりはしない。


まぁ、いつの時代も、いい歳こいたオッサン芸能人が日本ではいつもヒ―ロ―ではあったのだが。

渥美清石原裕次郎いかりや長介、ビ―トたけし、松本人志......


尻の青い20代のクソ餓鬼が天下をとっていた時代などなかったとは思うが。


ただ、本当に芸能界の縮図は30年前から殆ど変わっていない。

あまりにも新陳代謝が行われていない事にビックリする。


もう、トドメを刺すような事を思いっきり云ってしまうなら.....



「キャラクタ―が薄過ぎる」のである。



その理由は様々あるだろうが、個人的な見解として、「苦労が足りない」のである。

「思想が足りない」、と思う事もよくある。


今の若い人間は哲学などやらないだろう。

昔は嘘でもニ―チェだか、ランボ―だか、ヘッセだか、ドストエフスキーだか、サルトルだか、ボ―ドレ―ルだかってな時代があったようだし。
(いや、それがイイのかどうかは知らんが(笑))



兎に角、こんな物質的に満ち足りた社会、国の状態で、濃いキャラクタ―が生まれるとはとても思えない。


こんな事を云うと、少し問題かも知れないが、僕は、すさまじい存在感をもった人間が誕生するには、その人間に対して、「貧乏」「暴力」「差別」....


こういった事が降りかかる必要があると思っている。



勿論、そんなモノは無いほうがイイに決まっている。
僕だって、そういうのを受けてきた人間だから解る。
そんなモノは最低最悪だ。

人の人生を、人格を確実に狂わせる。




....が、そういう苦労を経験する事でしか決して解らない世間の側面が、ある。

底辺の生活、イジメや無視、差別、悪口、汚い金、飲む·打つ·買う......


この世界は決して綺麗ではない。

勿論、素晴らしく、心が洗われるような光景を目にする事もある。


しかし、清濁両面をあわせ持っているのが人間というイキモノである。


上に立つ人物は、そういったあらゆる美しい事、あらゆる汚い事、素晴らしい事、クソみたいな事.....

両方をよ―く把握して居なければならない。


こんな殺菌されたド―ムの中で育てられたような子ども達が、たいした芸能人となるだろうか?

それは、NOであろう。


「じゃあ、どうしろってんだよ」って云われても、そんな事は知らないし、解らない。



でも、このままだと、10年後....いや、5年後のTVといったらメチャメチャ詰まらないだろうな、と思う。
(もう既にこれだけ詰まらないのだから)




いつまでBIG3は第一線でやっていかなきゃいけないのか、という話になってくる。


ドリフや欽ちゃんはちゃんと廃れたけど、BIG3はシブトい。

歳をとっても全然、何にも衰えていない。

それどころか、新人を自分のキャラを際立てる肥やしにしてしまう。

バケモノのような人物達である。


と、云うか、あの3人は、人としても当然スゴいし、この世のあらゆる物事を把握している点においても、他を圧倒している。

日本のTV業界が創りだした、最大最強の芸能人であろう。

彼らを用済みにするような人物の登場というのも、なかなか想像出来ないが.....






それこそ「ビ―トルズ」みたいな存在が、バ―ン!と登場でもする必要があるだろう。


それが「SMAP」なのかも知れないが、少し役不足の感もある。


「嵐」など、話にならない。


昨今、かなり各方面から叩かれまくっているマッチ先輩も、あの人もナンダカンダ云っても、かなりスゴイ人物だとは思うのだ。

人間、ただのイイ人ではまったくオモシロくもない。


かといって、完全にワルになってしまうのもダメな訳で。
古くさいかも知れないが、「人情」や「粋」といった要素は案外、というか、かなり重要なのだ。


その塩梅は非常に難しい。





かなり厳しい記事を書いた訳だが、大いなる愛情をもって書いたつもりだ。




このままでは、日本の芸能はオワコンになってしまう、本当に。

ミスチルと信長協奏曲

小栗旬織田信長を演じる「信長協奏曲」。


ドラマは滅多に観ない僕だが、なぜかズルズルと最後まで観てしまって、結局「なかなかオモシロかったなぁ」なんて思ったもんである。



で、今回はそのドラマの内容の話ではないです。


主題歌のお話。


ミスチルの「足音」という曲である。


これ、なかなかの良曲だと思うし、ドラマにも合っていたと思う。
現代版、「終わりなき旅」的な感じもする。
曲調や雰囲気も似てるしね。



桜井和寿の詩のウマさは誰もが認める所だと思うが、タイアップが付いた場合、彼も、他のア―ティストがやるように、そのドラマの概要を知った上で、それに見合った歌詞を書く。



で、桜井はホントにそういうのがウマい。

ミスチルの曲のおかげでドラマの魅力が何倍にもアップする。

昔、「アンティーク」なんちゃらとかいう、BGMも含めて、ドラマ内でミスチルの曲しか流れないというまさにミスチルファンの為にあるようなドラマがやっていたなぁ。


と、話がやや脱線してるので、修正。




以下はインタビュ―から判明している事なのだが、


桜井和寿が「信長協奏曲」の為に創った最初の曲は、「足音」ではなく、「Starting Over」だったという。

そう、今となっては、細田守監督によるアニメ映画、「バケモノの子」の主題歌になった、あの曲である。


それの原型を創った段階で、スタッフに聴かせて反応を見た所「う―ん、イマイチなんじゃない?」なんて返ってきたもんだから、天才、桜井の「なんだとぉ、俺様の創った曲が気に入らねぇってのか!」というナニクソ根性に火がつく。



そこで、今度は「未完」という曲を創りあげ、再度スタッフに提出。

しかし、あえなくこれもボツ。


揚げ句の果てに誕生したのが、この「足音」なのである。

それも、一回ですんなりOKが出た訳ではなかった。

最初のアレンジではボツを食らい、「うっそ―、これでもダメっておまいら....」って桜井もかなり悩んだそうだが、結果論、出来上がりだけを聴くと、今のモノが確かにベストだと思う。


いくら桜井和寿と云えども、これだけの苦労をして、ドラマのタイアップの仕事をこなしていたのだった。

と、いっても、物凄いレベルの高い話のような気もしないではないが(笑)


「ドラマの主題歌決まったよ―、曲、創ってね―」って云われて、「Starting Over」「未完」「足音」くらいのレベルの曲、3曲も創れるの、桜井くらいのもんやで(笑)



で、「信長協奏曲」に使われる予定だった名残なのかは知らんけど、歌詞を見てみると、「Starting Over」には、「僕だけが行ける世界で銃声が轟く」なんて部分があったり、「未完」にも、「例えば僕は武将で慕った家来が寝返ったって良い」なんてモロな歌詞すら、ある。


まぁ、「人生とは戦いだ!」みたいなテ―マはありがちだし、いくらでも、何にでも転用出来るっちゃ出来る訳なのだが。



こんな感じで曲がどんどこ増えてって、最新アルバムの「REFLECTION」は23曲収録という大型アルバムになったという話であったが.....。




アルバムの話で云うと、僕は「Drip」版しか聴いてないんですが、確かにいつも通り合格点は軽く取ってる。
前作の「ブラッドオレンジ」よりは、僕的にははるかにイイ。

だけど、やっぱ、90年代のミスチルが大好きな僕としては、もっと攻撃的で皮肉たっぷりで、ちょっぴりエロチックなミスチルが見てみたいなぁ、と。


もっと「REM」みたいな攻撃的な曲を増やして欲しいなぁ。

いっそ、そっちに振り切ったようなアルバムを創ってもいいんじゃないだろうか(大きなお世話か)


まぁ、桜井も45歳。


深海だのBOLEROだの創ってた時は、まだ25歳くらいだったんだもんなぁ。

そんな若い時にしかもってないような無軌道な怒りや、初期衝動なんて、出そうにも出せないかも知んないけどねぇ。



そこはヒロトやマ―シ―を見習って(笑)

精神の時代?....いやいや、esの時代!

人間には、大きく分けて3つの精神の領域があるという。


それが、es (本能)、エゴ(自我)、ス―パ―エゴ(超自我)である。



es(エス)は文字通り、本能である。

人間の素直な欲求、欲望。


エゴは、esをコントロールする役割を果たす。

esを判断し、時に促進させ、時に抑制する。


そして、ス―パ―エゴは、社会的なル―ルやモラル、常識、道徳などを考慮して、エゴを抑えている。


esをアクセル、エゴをハンドル、ス―パ―エゴをブレ―キに例えて説明していたサイトがあって、成程、分かりやすいな、と思った。


図で表すと、三重の丸(〇)で表せる。


esの外側をエゴがくるっと囲っていて、そのエゴの外側を更にス―パ―エゴがくるっと囲っている。


それぞれの大きさや度合い、バランスは人それぞれだと思います。

esがめっちゃ大きくて、エゴやス―パ―エゴが外側を囲ってはいるんだけど、ギリギリ、みたいな本能の強い人も居るだろうし。

逆に、ス―パ―エゴがめっちゃ大きくて、esなんて、「どこにあんの?」ってくらい小さい様な、聖人君子的な人も居るかも知れない。


別に何がよくて、何がダメって事はないけど。



でも、最近の世の中を観てて、この2015年の若者は、ス―パ―エゴがかなり大きそうな人が多いような印象をもっている。

とどの詰まり、突発的に、本能に身を任せて、ガ―ン!と行動しちゃうような人が20年くらい前と比べて減った気がする。

そりゃそうだよね。

なんか、社会全体がそんな「熱さ」というかパアトスを失ってるもん。


各方面から圧力がかけられ、体温の低い管理社会で、毎日ロボットみたく生きてたら、自分の本能がどこ行ったか分かんなくなりそうだもんねぇ(笑)

ゾンビみたいに、生きる屍になっちゃってる。


で、逆に本能丸出しにした所で、周りからは「なにこいつ(笑)」みたいに白い目で見られるしさ。



ホントは絶対みんな、もっともっと本能丸出しで開放的に生きる事をのぞんでる筈なのにね。

み―んな自分の心に嘘つきやがってからにぃ~(笑)

だから、どんどん社会から元気が減るんだと思うよ。


もう、丸出しでいけばいいんだよ、それのが、なんか、この陰鬱な日本の状態を打破出来る気がする、マジで。

21世紀は精神の時代、とかある人は云ったけどさぁ、しょせんは人間なんてアニマルなんだってば。

やせ我慢せずにさ、やりたい事、周りを気にせずガン!ガン!ガン!やろうよ。

そんでもって健康になって、新しい世界を創ろうよ。

お馬鹿パワーでノリ切ってやれっ!(笑)



現状の社会の体制を創って、その一番上で玉座に鎮座ましましてるオッサンやオバハンだって、今は、自分達の築いた世界を守る為に、要るのか要らないのか分かりもしないル―ルを下のモンに押し付けて支配を確実なモノにしようとしてるけど。

そんな、オッサン、オバハン達も、革命の時代は存分に阿呆やって、そのお馬鹿パワーでもって、現状の世界を創ったんだから。


長いモノに巻かれてたって、その支配してるオッサン、オバハンは老い先短いんだから、自分達が死ぬまでの栄光しか考えちゃいない。

だから、若いヤツらが「あんたらの時代は終わったんだよ」って云ってあげなきゃいけないんだって。



これは、よく云うんだけど、歴史の教科書は「ブラックリストの博覧会」なんですよ。

上の連中に、「あんたらの時代は終わったんだよ」って、引導を渡してきた当時は犯罪者扱いされてたヤツらが、英雄として載ってる。

だから、もっと暴れまくらなきゃね。
実際、古い価値観じゃ、もう今の時代に合わなくなってて、明らかにおかしいル―ルだってあるんだから。

それは、「違うんじゃないですか?」って云ってあげなきゃオッサン達はわかんない。

ホントはわかってんだろうけど、自分達に都合が悪いから黙認してるんだろうけど(笑)



だから、そんな聖人ぶったり、頑なにル―ルからはみ出さない様にしててもしゃ―ないってば。


アクセル全快で月の裏側までぶっ飛ばせ!!!

「Drive Me Crazy !!!」

人を観る事

「観る」。


っていう行為って、とっても大事だと思う。


スト―カ―になったらアカンよ(笑)


そういうんじゃなくてさ。

人を人としてちゃんと観てあげる、っていう事。


抽象的でわかりにくいかもしんないけど...



世間のスピ―ドってめっさ速いから。

家族、友達、同僚、上司、お客さん、通りすがりに話す事になった人....

まぁ、相対した人、ですよね。


これを機械的に右から左に受け流したりする事もある訳ですよ。


忙しいからね。

ひとりひとり観てらんないもの。そりゃ、わかる。



だけどね、実は、「観る」ってのが、これがまた、とっても大切な事なんよ。


なんか、仕事で問題が起こるじゃない?

家族や友達との間にも問題が起こるじゃない?

子どもが居たら、子どもにも問題がふりかかるじゃない?



その時に、人はどうしても「起きた出来事、問題」のほうに目が行きがちなんだよ。


「クレ―ムがあった」とか「商品の品質が低下した」とか「嘘をつかれた」とか「子どもがイジメにあった」とか、ね。


でも、そこで、いったん問題や事象から目を離してみて、「人」のほうを観てみてほしいな。


詰まり、働いてる職場の「人」を、「従業員」を、「家族」を、「友達」を、「子ども」を。


それも、起こった問題とは切り離して、フラットな目で「人」を観てほしい。



そうすると、色々見えてくるよ?


大体ね、この世の中の問題って、全部、「人の不満」、「人の不安」から発生してるんだから。


表面上の事象だけ解決しても意味ないもん、だって。



人をちゃんと観てあげて、その人の不満、不安を取り除いてあげる方向性で進めていったら、ホントの意味で問題は解決するよ。



「人」は「物」じゃないからね。

こんだけ世間のスピ―ドが速いとさ、人を人として見れなくなってきちゃうんだ。


それって悲しいよ。


寧ろ、ちゃんと「観る」って事をしてあげたら、具体的に何もしなくても問題が解決しちゃうほどなんだよ。


不思議な事だけどね。

そういう境地というか、技を使うには、自分自身が、寛大で、フトコロ深く、大きな湖のような心である必要はありますね。

自分がそうある事で、相手もそういう状態に引っ張っていく事が出来るもんです。

常にフラットで居るのって難しいですけどね、世の中忙しいし、世知辛いから。



.......


で、「観る」。と云っても、そっから過度に干渉したりするのもダメかも知れない。

大切な人に対して、どうしても人って、あれもしてあげたい、こうしたらあの人がもっとイイようになるんじゃないか、なんてついついやっちゃうんですよね。

でも、相手の為と云いながら、実は自分の思い通りになって欲しい!ってな願望が無意識的にあったりする場合も多くって。

ありがた迷惑になってしまってる事も多い。


真の意味で、自分自身を助けられるのって、自分自身だけだから。
こっちが助けてあげようとしても、本人が「今のままでいいや」、とか「変化はいらないよ」、って思ってたら、全然なんにも変わんないから。

それに、こっちが変化を起こしてあげようとしている先に待っている相手の人生が、相手にとって、本当に幸せなモノとは限りませんからね。

難しい話になっちゃいますけど。

だから、もうホント、「観る」。
それだけで充分だと思います。

勿論、相手が具体的に助けを求めてきたら、助けてあげればいいと思いますが。


例えば、子どもに対しても、親だからって、別に何か特別な事なんてしなくてもいいんですよ。

「親」という漢字は、「木の上に立って見る」とバラす事が出来ます。

詰まり、少し離れた所から、手を出さず、しっかり「観て」あげてればいいんです。

それに、子どもの精神状態って、幼ければ幼い時期ほど、親の精神状態とリンクしてますから。

親がイライラしてたら、子どもも泣いたり、アトピーが出たりするんです。


だから、親自身が気持ちを落ち着かせて、ゆったり、どっしり構えてる事こそが、何をするよりも子どもにとってタメになるんですよ。

まぁ、第一子とかで、はじめての子育てとかだったら、お母さんもかなりテンパるだろうし、イライラすると思うんですけど、それが赤ちゃんにモロに伝わってしまって、赤ちゃんが原因不明の病気とか肌荒れになったりする、っていう悪循環を引き起こしちゃってるんですよね。


.....何もしなくたって子どもは育ちます。
(勿論、食べ物を食べさせたり、オシメを変えたり、最低限度の事はしてあげて下さいよ)


教育ってのは子どもの為というより、実は親の成長の為にある儀式みたいな側面もあると思いますよ。

子どもに学ばせてもらう、くらいの軽い気持ちで居れば、問題は限りなく少なく済むでしょう。


んで、これは、対 子ども だけじゃなくて、すべての人との対人関係にも当てはめられる法則なのでした。

.......

.....スンマセン、若造が偉そうにズカズカ云ってしまって。
でも、少しでも誰かの為になれば、と思って書きました。

A Head Full Of Dreams

Coldplayの新作、買ってみました。

「A Head Full Of Dreams」ですね。


実は、youtubeで何曲か視聴済みで、パッとくるような曲も僕的には見当たらなかったんで、購入を相当ためらったんですけど....


それでも買ったのは結構個人的な理由でして(笑)


この新作のジャケット、及び、売り出しのイメ―ジに多用されている「虹色」な感じ?....というか、このレインボーなグラデーションというか。


僕は小さい頃からこのデザインにほんと弱くて(笑)
詰まり、大好きなシチュエ―ションなんですよ。


もう、このレインボーな感じのジャケットじゃなかったら、多分買ってませんね。

それだけです、ホント。ジャケ買いです。


あとはもう、今現在、数字的に一番売れてるロックバンドが、どんなモノを提示してくるんだろう、という興味ですね。



で、せっかく買ったんで何周かはきちんと聴いて、味わってみましたよ。



.....で、と。

う―ん、無難ですねぇ(笑)
よくも悪くもColdplay的な無難さ。


大体にして、ここまで云うと失礼かも知れませんが、Coldplayってバンド自体がそもそも無難なバンドなんですよねぇ。

攻撃的でもなければ、むちゃくちゃメッセ―ジ性が強くもなければ、世間は美メロ、美メロと云うけれど、それもどのレベルの話かなぁ?という所ではあります。

そりゃ、昨今のバンドにしては美メロ率は高いかも知れませんが、極端な話、ビ―トルズやクイ―ン、ABBA、カ―ペンタ―ズなどと比べるとどうなのって事にはなりますけどね。

その美メロ率すらも最近の何枚かのアルバムでは減少傾向にあるような気もします。



で、新作の話。

一曲目、表題曲の「A Head Full Of Dreams 」。

直訳すると、「頭ん中は夢いっぱい」。

昔のちびまる子ちゃんのOPを連想してしまった。
(なんじゃそりゃ(笑))



ノリの良い、なかなかの曲です。嫌いじゃない。

しかし、思いっきりU2を思い浮かべました(笑)

特に、「 I Still Haven't Found What I'm Looking For」を。

いや、別に似てようがなんだろうがいいんですけどね。
ポップミュ―ジックなんてしょせんパクりの文化ですから。

いかに過去の良曲のエッセンスを取り入れて、自分達の中で消化して、換骨奪胎して発表するか、って感じですからね。


で、結局僕はこのアルバムの中ではこの一曲目が一番好きでした。何回聴いても。


それにこの曲を聴いて、改めて、Coldplayは、新しい時代のU2なんだなぁ、と思った。

ポストU2に一番近い存在ですね、よくも悪くも。


ノエルギャラガ―もそういうのを目指してるみたいでしたが、彼の音楽性や性格などなど踏まえると、ちょっとムリそうですよね(笑)

いや、別に誰もノエルにU2的なモノは求めてないと思いますけど(笑)

彼はニ―ル·ヤングですよね、まぁ。
渋くて皮肉屋さん。
カッコよく枯れてるいぶし銀のロックマン


U2になるには、イイ意味でもっと阿呆じゃないとね(笑)

ノエルはちょっとインテリ過ぎですね。


で、そのノエルもギターで参加している曲、「Up&Up 」も期待してた曲だったのですが、なんというか、僕的には中途半端な曲でした。

確かにノエルがギターを弾くと、とたんにオアシスの世界がその場に生まれるのですが、だからといって、この曲自体はクリスが創ったモノだし、全然オアシス的な曲じゃないですからねぇ。

特に化学反応も起こってない感じ。


Coldplayもビ―トルズ的な曲に挑戦したりもたまにしていて、代表格は「美しき生命」の中の「Violet Hill」だと思いますが、悪くはないけど、ああいうのはノエル兄貴に任せとけよっ、て感じですねぇ。

ホントColdplayって、どんな種類の曲もちゃんと無難には仕上げるんですけど、それ以上でもそれ以下でもないんですよねぇ...。

まぁ、そういう、どんな作風にしたって、癖が強くなく、丁度よく仕上げる、みたいな塩梅もU2的っちゃそうなんですがねぇ。




あとは、先行シングルの「Adventure Of A Lifetime」は、ギターのリフとかがいいグル―ヴを創っていて、聴いてて気持ち良い曲ではありますね。

名曲、って感じではないですが、パ―ティにはぴったりの曲です。


3曲目はビヨンセをフューチャーしていて、ロックファンからは「ポップに迎合し過ぎだろ!」ってな酷評が見られますが、まぁ、この全体的に何だかのっぺりとしたアルバムの中では、ちょっと変化球的な感じの曲なので、アリかなとは思いますがね。


ただ、同じ系統の曲で云えば、「マイロザイロト」に収録されていた、リア―ナをフューチャーした、「Princess Of China」のほうが、曲の出来も化学反応も良かったですねぇ。



問題は5曲目以降。
何だか似たようなバラ―ドっぽい曲が続いて、あくまで個人的には全然印象に残りません。

ゴメンナサイ、あくまで僕の意見ですが、後半はムリっすわ。刺激がなさ過ぎ。


この前の記事で「マイロザイロト」について書きましたが、あっちのほうが今作よりもっとポップ寄りの内容だと思いますが、あっちのほうが全体的な出来としてははるかにマシ、というかイイです。


ちょっと残念。


まぁ、僕は、「Ghost Stories」を聴いていないので。

これから多分Coldplayはライヴツア―に旅立つんでしょうし、前回のアルバムのツア―はやっていない訳で、次のツア―は恐らく、「Ghost Stories 」と「A Head Full Of Dreams 」の曲が入り乱れたセットリストになるんだろうから。

陰の前作に、陽の本作。この対照的な2枚の作品の曲が交互に繰り出される事でコントラストがついて、映えるライヴになるのでしょう.....な―んてフォロ―も入れつつ(笑)終わろうかとは思いますが。



今作は単体としてはちょっと弱かったですね。

最近の音楽って

「音楽」って僕にとっては「研究職」っぽい感覚があるんですよ。


純粋に楽しんだり、演奏したり....

それもありますけど、「音楽にはどんな可能性が残されているのか?」って。
そういう所に一番興味がありますね。


そして、それは自己満足ではいけないとも思ってる。

詰まり、「ポップ」という事も意識している。



そういう意味では、レディオヘッドとかくるりとか、90年代のミスチルとかは挑戦的でポップでもあり、好きである。


勿論、大御所で云えば、ビ―トルズやピンクフロイド、デヴィッドボウイ、レッドツェッペリン、ブライアンイ―ノなどは素晴らしいと思う。


彼らは、ロックでポップでパンクでもある。


ジャンルが、というより、精神が、である。



今のバンドを観ていると、まぁ、CDが売れなくなった時代だから、というのもあるが、実験精神より、肉体性というか、ライヴでの盛り上がりのほうを追求している向きがある。


ビ―トルズよりスト―ンズ的な感じだ。



それも結構なのだが、革新的な音楽、誰も聴いた事がない様な音楽ってどんなだろう?なんていつも思いをめぐらせている僕にとっては、少し物足りないのである。



なんか、この前に書いた記事と思いっきり矛盾してますが(笑)

Coldplayを聴く

Coldplayの「マイロザイロト」というアルバムを最近寝る前にリピ―トしている。


Radioheadは前から好きだったんだけれど、Coldplayに関しては、「毒にも薬にもならない様な無難な音楽だなぁ」なんて思ってマトモに聴いてこなかった。


しかし、ここにきて、この2011年に発表された「マイロザイロト」というアルバムを聴いてみて、「あ―なんか思ってたよりいいかも」と。


なんか、最近、自分の中で音楽の価値基準、判断基準がかなり変化したような気がする。

少し前なら、「何、このEDM色バリバリのポップに媚び売ったような安易な音楽はっ!それでもロックバンドかお前らっ!」って否定していたかも知れない。


でも、なんか今は素直に心地よく音楽に浸れる。

ポップ寄りだとか作り込んであるだとかメロディがイイだとか悪いだとか、そんな事は抜きで、音色の良さとか雰囲気とか、単純に「楽しい」とか.....昔は頭が固すぎたのか、そんな聴きかたは出来てなかった。



何かキッカケがあったとも思えないが、ここにきて、もっと音楽を単純に楽しめるようになってきた。


多分、良いことだと思う。

考えて考えて考え尽くした揚げ句に開き直ったのかも知れない。

「なんでもいいじゃ―ん」みたいに。



そしたら、あんなに詰まらないとしか思えなかったColdplayの音楽が急に、「キラッキラやなぁ」って感じで身に染みた。


いやぁ、これはこれでいいね。
さすが、2000年以降で一番売れたバンドだけはあるよ。

「マイロザイロト」に関して云えば、僕は、


トラック3 PARADISE

トラック8 MAJOR MINUS

トラック10 PRINCESS OF CHINA


が特に好きかな。

聴く度に全部よくなってきてますけどね。


この2015年、12月にも新アルバムが出た所。

今度給料が入ったら購入してみようかなぁ。



でも、ホント、自分でも信じられない程、ちょっと感覚が変わっちゃったなぁ。

どうしたんだろう?(笑)