ミスチル 「Q」考察
「Q」と云えば?
「ヱヴァンゲリヲンQ」?
「1Q84」?
色々あるが、ここでは、ミスチルの9枚目のアルバム、「Q」を取り上げてみる。
「Q」と云えば、「クエッション」「質問」「問題」「謎」「不思議」......
様々な言葉が頭を駆けめぐるが、取り合えずミスチルの場合は、9枚目のアルバムだから、「Q」。
まぁ、当然、様々な意味は込めているんでしょうが。
ミスチル好きな僕も、「Q」はそんなに聴く頻度が高いアルバムではない。
他の人の評価を観ていると、「Qこそミスチルの最高傑作‼」などという者も居る。
まぁ、ミスチルのアルバムと云えば完成度は高いというのが相場な訳で、人によって最高傑作は違うだろう。
そこまで云うならと、この度、かなり腰を据えてジックリ視聴を試みた次第です。
で、先に結論を云う。
「なんか色んな意味でミスチルっぽくない(笑)」
ミスチルは色んな音楽スタイルに挑戦しているから、「ミスチルらしさ」はかなり幅広いのだが、それでも何だか違和感.....というか、不思議さを感じる。
まさに、「Q」である。
一曲ずつ簡単に書いていこう。
1 CENTER OF UNIVERSE
......う―む、いきなりぶちかましてくれる(笑)
スロ―なテンポから始まり、途中から早口言葉でまくし立てる中間部を経て、またスロ―になったり、兎に角忙しい。
メロディも多いし、一筋縄でいかないメロである。
まるでビ―トルズをはじめとしたUKロックのごときヒネクレたメロディや展開だ。
「深海」「BOLERO」「DISCOVERY」と続いた、黄金時代でありながらも常に付きまとっていた「死の香り」。
芸能人として急激に有名になり、金持ちと成功者の必ず味わう虚無感や欲望の世界。
ステ―ジの上では光輝きながら、裏では泥臭い光景を目の当たりにする。
悪魔の誘惑、人としての堕落。
ミスチルもそれらを経験したのだろう。
そして........
「Q」のジャケットは「深海」から桜井が浮上した、ミスチルが闇の世界から生還し、日の当たる場所へ還ってきた、というイメ―ジもあるのかも。
この一曲目はヒネクレた曲だが、明らかに前作とは違う「素直な希望」の様な雰囲気を感じる。
正直、このアルバム全体に云える事なのだが、桜井和寿の神がかったメロディ時代はこのへんで流石に終わりを向かえつつある。
ただし、それは桜井のレベルの話であり、そもそも桜井は天からメロディが降って来なくとも、もともと抜群のメロディセンスをもった恐るべきメロディ怪獣なのである。
主に、ビ―トルズ風のUKヒネクレメロディを創らせたら、大瀧詠一だろうが、財津和夫だろうが、桑田佳祐だろうが、奥田民生だろうが、草野正宗だろうが、誰も敵わない。
この一曲目でも、存分にメロディで楽しませてくれる。
2 その向こうへ行こう
.......ほう。こう来るか(笑)
ミスチルのアルバムったらば、一曲目はいつもなかなかクセのある曲が来るもんだが、2曲目は景気のイイ感じのアップテンポな曲が来て、一曲目とコントラストを付けたりするもんだが、この「Q」では一曲目に負けず劣らずマニアックで重量級の曲が配置された。
メロディもまたしてもUKっぽい匂い。
決して目鼻立ちのハッキリしたメロではないが、UKロックファンなら納得のイカシタ展開だ。
こういうのも創れるのか、桜井よ。
一般受けはとてもしそうにないが、僕は大好きですよ、この曲。
3 NOT FOUND
.......ここで、ミスチルらしいグッドメロディの曲がやってくる。
だけど、リズムは3連リズムという変化球。
でも、どんなリズムだろうが、凄まじいメロディを創れるのが桜井和寿という男だ。
ヘンテコな曲ばかりのこのアルバムの中では、逆に名曲の印象が薄くなっている、という摩訶不思議な事態が発生しているが、まぁ、普通に名曲である。
4 スロ―スタ―タ―
.......ど、どうした桜井和寿よ(笑)
邦楽ロックファンならば、一聴して思った事だろう。
「奥田民生じゃん!」。
そう、メロディも歌い方も何もかも民生である。
なんちゃって奥田民生、な曲である。
何かのラジオ番組で、桜井自身が、「奥田民生の真似が出来ますよ―」などと云って、自信まんまんで披露して居たのを思い出したが、この曲では、自分の作品でまるっきり民生をやってみました、的な曲。
しかし、見事にモノにしているのが、矢張、天才か。
5 Surrender
.......うむ。無難な曲ですな。
ク―ルな曲だ。何だか「Versus」とかそこらへんの昔のアルバムに入っていそうな気もする曲だな。
最近、オ―ケストラなどふんだんに使った豪華な曲が多いからか、こういうギター中心のシンプルな曲を聴くと何だか物足りない気もするが、でも、普通にイイ曲ですね。
多分、一般層にはこういう曲のがウケは良い気がするな。
6 つよがり
........この曲は、前作、「DISCOVERY」制作時から存在していたらしいが、収録を見送られたのだそうだ。
別に前作に入っていても問題なかったとは思うが、前作にはもっとメロディがすぐれた代わりの曲がいくらでもあったしねぇ。
この曲は、僕は普通かな。
7 十二月のセントラルパークブル―ス
........今度はボブディランごっこか。
別に「歌いこなせていない」、とまでは云わない。
桜井和寿は「歌がウマい」、とは不思議な事に胸を張って云ってあげられない。
しかし、物凄い個性的な声であり、とてつもなく印象に残る声だ。
この声で歌われると、曲が彼らしくなくとも、調子っぱずれになろうが、何だか全部OKになってしまう程のパワ―がある。
他の歌手と一緒に桜井和寿が歌う機会があったりすると、その事実が如実に判明する。
彼の声は他の歌手の声を喰ってしまう。
桑田佳祐とのデュエット、「奇跡の地球」でも、桑田佳祐というあれだけの個性的な声と対決して、歌のウマさは別として、存在感としては完全に勝っている。
そういう所、ジョンレノンのようである。
8 友とコ―ヒ―と嘘と胃袋
.......なんだ、この曲は(笑)
人力テクノ?歌ってるのはなんかフォ―クっぽい内容なのだが.......吉田拓郎的な?
アレンジや中間部の狂った語りのパ―トも含め、兎に角、キテレツな曲を創ろうと試みた、という感じか?
しかし、次回作の「LOVEはじめました」(こっちは中島みゆきっぽい) なども考慮すると、桜井の作曲の実験的な要素があるのか。
天からのグッドメロディが尽きたから、じゃあ、ちょっと変化球的な曲で、どれだけの名曲を創れるのか?という彼自身への挑戦か。
そこらへんの雰囲気は、このアルバム全体を通して伝わってくる。
(それとも僕の勝手な思い込み?)
9 ロ―ドム―ビ―
.........これまた無難な曲ですねぇ。
これも「Surrender」あたりと同じく、「Atomic Heart」以前のアルバムに収録されてそうな曲。
「Kind Of Love」あたりに。
まぁ、普通にイイと思うけど。
桜井レベルではちょっとメロディ的には落ちちゃうよね......って高いレベルを要求し過ぎですよね(笑)
他のミュ―ジシャンがこんな曲書いたら、ビビるに違いないのだから。
10 Everything is made from a dream
.......ここでまたまた一癖ある曲が来る。
マ―チ調の楽しい曲だ。歌詞も色々詰め込んでてごしゃごしゃしてるけど、聴いててオモシロイ。
低めのキ―から始まって、いきなりメッチャ高くなるからビビらされるが、彼の曲では結構よくある展開だ。
中間部のしゃべりには、他のメンバ―も参加してますね。
「すべては人間の描いた夢からはじまっている」。
その通りです。
11 口笛
........ここでようやく「THE ミスチル」な曲がやってくる。
特にこれ以前のミスチルというより、この「Q」以降のミスチルの王道の名曲の雛型の様な曲である。
(「Sign」や「旅立ちの唄」など)
桜井は当事、「この曲が出来たからこそ、やっと自信をもってこのアルバムを出す決意が出来た」などと云っていた。
やっぱり、そこは売り上げを気にするんだね、桜井さん。
まるでポ―ルマッカ―トニ―の様な悩みですな。
大丈夫、あなたの凄まじい才能をもってすれば大コケはしないってば。
だから、「REFLECTION」も良かったんだけど、もっともっと「ロック」なミスチルを見せておくれよ(笑)
えっ?それは「SENSE」でやったってか?
もっと、もっとだ!(笑)
12 Halellujah
.........うん、これもまた1、2曲目のUKロック路線のサイケデリック系統ですねぇ。
こういう系統の曲、実はなかなか他のバンドは創らないんだよね。
創れないのかも知れないけど。
独特のセンスが必要ですからねぇ。
こういうのがひょいひょい創れるのが桜井和寿の貴重な才能の一つです。
この曲はなんでも随分温めていたらしく、何パタ―ンも違うアレンジのデモがあるそうです。
他のヤツは聴いた事ないけれど、このバ―ジョンでも充分OKです。
ポップザウルスツア―では、この曲から「花」という曲に繋がっていく、という展開で演奏していましたね。
13 安らげる場所
.......最後に相応しい静かな名曲。
メロディはそれこそ前作の「Image」なんかと比べてしまうと物足りないんだけど、前述の通り、僕は桜井和寿という男にハイレベルを求め過ぎですね(笑)
こんだけの曲すら、普通創れないってば(笑)
........................
と、いう事で、総評。
グッドメロディはやや尽きている。
「Atomic Heart」から「DISCOVERY」まで続いた神がかり的なメロディ時代は一旦終了。
だからといって別にメロディの質がガクッと落ちた訳ではない。
このアルバムは、色んな意味でミスチルの挑戦、である。
これからの自分達の音楽性や在り方、バンドの体制を考える模索期である。
なんでも、どの曲かは知らないが、ダ―ツを投げて曲のBPMを決めたりしたモノもあるらしい。
(「NOT FOUND」という情報あり。定かではないが)
「実験」「挑戦」「過渡期」である。
重量級の曲が幾つも収録されている、やや胃もたれしそうなアルバムだから、ヤッパリ聴く頻度はこれからも上がりそうにはないが、当然、駄作ではない。
かといって、僕としては、傑作とも云い難い......かなぁ。
ていうかね、まず、バンド感が薄いよね(笑)
桜井の話では、このアルバムでは、前作までより、かなりの部分を他のメンバ―に委ねたという。
しかし、どんなに委ねようとも、結局最終的には桜井が全部もっていってしまうし、小林武史がアレンジ面は張り切っちゃうから、まぁ、ヤッパリ影は薄くなってしまいますよねぇ。
ここらへん、サザンとおんなじ状態が起こっている訳ですが、しかし、メンバ―の首を誰でもすげ替えられる、という話ではない。
いくら作曲面での貢献が少なかろうが、ヤッパリライブにおいては、いや、録音でもだろうけれど、このメンツでなければ「ミスチル」にはならないのだ。
バンドメンバ―とは「ソウルメイト」なのだ。
ガンバレ、ミスチル!
もっとロックなアルバム、ヨロシクね♪(笑)
今年から僕、大殺界とかいう時期に入ったらしいんだけど...
だから、まぁ、アンマリ気にし過ぎない様にしたほうがいいのかも知れない。
太古の中国などではいわゆる「易学」はとても重宝されていて、占いによって、天変地異や人の人生すら予知するに限らず、操る事すら出来たという。
占いで、人を殺す事も出来たというのだ。
それほどのモノという事は、あなどる事も出来ない訳だが、余りに気にし過ぎると、それはそれで身動きが取れなくなってしまうし、自分に制限をかけすぎてしまって、逆にチャンスを逃してしまうかも知れない。
.......なんでこんな話をし出したのかと云えば簡単な理由である。
細木数子氏の六星占術において、僕は今年(2016年)から、いわゆる「大殺界」なるモノに突入したらしいからである。
しかも、細木氏によると、この「大殺界」というのは、3年ほど続くというのだ。
「大殺界」に入ると、普段の自分の調子が狂い出し、今までウマく出来ていた事も何だかウマくいかなくなってしまうという。
更には、運気的にも不安定極まりないから、万事において、事が上手に運ばない、といった有り様になるそうである。
そこまで詳しくないが、なんとなくそんな感じっぽい。
とどの詰まりが、「人生の冬の時期」という事らしい。
だまってジッとしていろ、と。
その解決策というか、過ごし方というか、そういうモノを調べてみると、「普段の自分とは真逆に振る舞ってみる」「新しい事などは起こさず、おとなしく勉強の時期にあてる」などがあった。
普段とは真逆に振る舞う..........
う―む、よく分からんな(笑)
抽象的過ぎるだろ。合理的な僕にゃ腑に落ちん。
大体、僕の普段ってのはどんな感じなんだろう?
おとなしい面もあれば、激しい面もあるし、チャラけた部分もあれば、生真面目な部分もあるのだが。
おそらく細木氏が主張するのは、なんちゃら星人というのが、誰にでも当てはまるから、その属性、及び性質とは真逆のように過ごせ、という事なんだろうな。
だけど、重箱の隅をつつく様な事を云うと、僕は〇星人(秘密です)だけど、普段はアンマリ〇星人っぽくない様な生き方をしてる気がするんだけれど(笑)
この場合はどうすりゃいい訳ですか?(笑)
もう、寧ろ思いっきり〇星人の性格全開丸出しでいけばいい訳?
大体ね、これ、裏話ですけど、大殺界ってなんか全体的に「悪い時期」「活動しないほうがいい時」みたいな印象があるじゃないですか?
でも、例えば、芸能人とかみたいに、激動の人生というか、ズド―ンと上に上がったり、ズド―ンと落ち目になったりする様な人達にとっては、どうも上昇の狙い目みたいですよ?
なにぶん頭が悪いもんで詳しくはよく解らなかったんですが、時間は12あるのに、空間は10しかないから、その余った2つの時期の運気が安定しない、いわゆる「大殺界」って事みたいです。
六星占術で云う所の、「陰影」と「停止」に当たる時期ですねぇ。
大殺界の最初の2年間です。
しかし、この期間、逆に云うと、空間がない?っちゃオカシイけど、天井知らずの状態になっているとも云える訳です。
詰まり、ウマく運気をつかんで上昇気流に乗る事が出来れば、大殺界以外の時期では考えられないくらい、上に上がる事も不可能ではない訳です。
裏技ですね。
特に、「霊合星人」だかいう、本来良い運気の時にダメになっちゃったり、最悪な運気の時に超イケイケの状態になっちゃう、という人達が居るみたいで、その人達にとっては、もしかしたら、かなり狙い目なのではないかと思うのですが(よく知らんけどね)
ただ、運気が安定していない事は間違いないので、チャンスの見極めは相当難しいのかも知れませんけどね。
株やFXみたいなもんか(笑)
でも、実際、大殺界をウマく使って、ガ―ンと売れた芸能人の方も沢山居るみたいですよ、ちょっと調べてみると。
あえてここには書きませんが。
だから、特に、ガ―ンと上に上がりたい欲望や野心をお持ちの方は、大殺界に入ったからといって、冬眠するみたいな生活を送るのは勿体無いかも。
と、いう訳で、僕も、ガ―ンていきたいから、動きまくろうかな―って思っている今日この頃(笑)
※
補足までに、各星人の簡単な性格、特徴などを明記しておきます。
(参考になるかは知りませんが(笑))
●水星人.....スタ―運。一代でビッグになれる可能性 のある成り上がりの星。人気者になりやすい。
ク―ル。醒めてる。一人で莫大な成功をおさめる事が出来る凄まじい能力を秘めているが、その代わりに、家族運が薄い。
自分の両親ともそうだし、自分がつくる家族とも。
孤独な人。
豊臣秀吉は水星人だったんだって。
●金星人.....自由人。せっかち。新しモノ好き。
古くさい慣習やル―ルに縛られるのは耐えきれない。
自分でガンガン独力で道を開拓していくが、気分屋で飽き性でもある。
奇抜、独創的。独特の美的感覚の持ち主。
大胆不敵で、あけっぴろげな性格。
少し、羞恥心に欠ける所があるかも。
織田信長は金星人だったんだって。
●土星人.....ド真面目。性格的に固い。
融通が全然利かない。一度云い出したら自分を曲げない。
正義感たっぷりだけど、悪く云えば、あくまで自分の思う正義を押し付ける感じになってる事多し。
潔癖、完璧主義的。
ちょっと偏屈で、「付き合いにくいなぁ」と思われる事も多いかも。
でも、イイ人ではありますよ。
●火星人......超職人肌。自分の世界をもっている。
その世界を極限まで探求し続ける様な人。
勿論、その世界観に合わない人とはウマが合わない。
そういう点に関しては物凄い頑固で譲らない。
だから、もうほっておくしかない。
一つの事を極めさせたら右に出る者はいない、最強の職人でしょうね。
取り合えず、放置しておいてOK。
●天王星人.....平和主義者。争いは基本嫌い。
人付き合いを中心に人生を進めてゆく。
しかし、広く浅くなので、案外人付き合いに関してル―ズ。
それが思わぬアダになる事も。
人気は出ると思うが、良くも悪くも、人たらし的な所があるかも知れない。
どちらにしても単独より、組織の中で真価を発揮するタイプ。
組織のまとめ役、もしくは潤滑油的な機能を果たすかも。
●木星人.....苦労人。大器晩成型の典型。遅咲き。
石橋を叩いて叩いて叩いて、ぶち壊してしまって渡れないタイプ。
考え過ぎてチャンスを逃している事、多し。
良く云うとかなり慎重派。
すべての事に丁寧に時間をかけるから、他の星が絶対に気付かないような細かい事を把握してたりする。意外と策士。
晩年にめちゃくちゃビッグになってるかも。
●霊合星人......前述したが、本来運勢が良い時期に悪かったり、逆に、悪い時期に良かったりするという、なかなか一筋縄ではいかない複雑怪奇な星。
説明するのがムズい。
詳しく知りたい人は、別のサイト観て下さい(笑)
以上ですけど、あくまで占いはほんの参考程度で使うのが丁度イイと思います。
実際、会ってみて、何回か話を重ねてみないとホントの所はわかんないですからね。
人間、そんなに簡単じゃない。
あ、間違っても、細木数子氏のまわしもんなどではないのであしからず(笑)
橋本環奈
「神様、仏様、環奈様」。
「1000年に一度の美少女」。
......なんだか色々云われている、橋本環奈。
僕は最近はメッキリTVは観なくなった。
出てる人達もオモシロクないし、詰まんないから。
ド直球過ぎる意見だけど(笑)
そんな中で、僕が最近?......じゃないかも知れないけど、「あ、この子、好きやわ」と思ったのが、「橋本環奈」である。
と、いっても、なんせTVをそんなに観ない僕なので、彼女については正直そんなには知らない。
考察文を書ける程の知識のストックも、ない。
ただの「にわか」である。
大ファンの方には大変申し訳ない次第である。
しかし、もうこれは「なんとなく」レベルで、好きである。
別に顔がタイプだとか、何かすんごい魅力を感じる、とかではないし、僕はアイドルおたく的な人間ではないので、そういう系統の見方をしている訳でもないです。
しかし、なんか好き。それじゃ、ダメ?(笑)
調べてみると、「水瓶座」「AB型」。
このどちらの要素も、「個性的(変わり者)」「世渡り上手(潤滑油的)」である。
この子はきっと嫌われないだろうな、とは思う。
ただ、浜崎あゆみとかみたく、トップに立つような感じのタイプでは間違いなく、ない。
ウマい事トップを補佐する名脇役といった所か。
う―ん、でも正直よく知らないから、これ以上ヘタな事云うのはやめておこう。
「橋本環奈」、応援よろしく!
恋とはどんなモノかしら?
突然ですが、恋をしました。
うん。( 〃▽〃)
僕という人間ってのは、相当ヒネクレて居る訳です。
性格もネジレまくっていて、要するに「天の邪鬼」とでもいうんでしょうかね。
だから、世間のみんなが、「黒」って云うと、僕は、「いいえ、白ですね」と云うし、世間のみんなが、「これ、いいねぇ!」と云うと、僕は、「そうですかねぇ?」ってなる。
ハッキリ云って、社会的には「ダメ人間」の部類に所属していると云えましょう。
同調も共感も出来ない。
素直でも、ない。
ウマい事騙されたフリをする事も出来ないし、風見鶏でもないし、潤滑油的でもないし、何かに夢中になったりする事も、基本、ない。
こういう人間は、『欠陥品』である。
「そこまで自分を卑下しないでもいいじゃない?」
と、励ましてくれる人も居ます。
「あったかいなぁぁ、ありがとう!」......などとは微塵も感じません。
そんな気持ちにすぐなれる位なら、こんなダメ人間にゃなっとりませんて(笑)
しかし、そんな僕が、久方ぶりに恋などしました。
こんなん、完全に匿名のブログだからこそ書ける事であって、プライドがエベレストよりも高い僕が、リアルの世界で口に出して云う事などあろう筈も、ない。
でも、完全に自分の胸の内に秘めておくだけ、というのも何だか辛くなってきた。
だから、ある意味、露出狂みたいな気持ちですな、ブログに書いて、気持ちをおさめよう、と。
早い話が、職場の同僚。
歳は僕よりも下だ。
話も満足に出来てないから何歳かは定かではない。
彼女は僕が入社してから、一ヶ月後に入ってきた。
しかし、彼女とは同じ部署ながら、出勤の時間が違い、まったくかぶる時間帯がなかったので、名前や噂などは聞いていたものの、会った事はなかった。
そんな日々が約2か月続き、僕のほうが、彼女の出勤する時間帯にも入るようになった事で、はじめて出逢いの機会が訪れたのだった。
そして、彼女を観た時、まず、その全身からかもし出される不思議な雰囲気をとても気に入った。
彼女は初めて逢う僕に対して、なんの警戒心も抱いていないかのように、すごく自然に「おはようございます!」と云った。
僕は、「え、ええ....」とか云ったと思う。
失格ですな。
彼女は、僕が云うのも何だが、少し変わっていると思う。
独特の顔をしているのだが、美人には違いない。
笑顔が素敵で、その屈託のない笑顔は、見るものを癒す力をもつ。
しかし、頭が足りないとか天然とかそんな訳ではなく、自然体で、マイペ―スであり、インテリという感じでもないのに、どこか知性を常にかもし出して居る。
仕事も人間関係も無難にこなす。
僕とはえらい違いである。
しかし、基本は「フワッ」とした子である。
だが、何かしら深さも見え隠れしている。
そして、「声」である。
人間の声というモノは、その人の人間性のジュ―スみたいなもんである。
声を聴けば、その人がどんな人か、なんとなく想像がつく。
人は「声」と「目」だけは、どんなに隠してもムダである。それですべて解ってしまう。
彼女の声はかなり独特だ。
高めの声だが、独特の低音も混じっている。
しかし、全体的に表現するなら「カワイイ声」である。「素直さ」「マイペ―ス」そして「芯の強さ」。
しかしね、恋愛の面でも僕は『欠陥品』なのですよ。
昔からですけどね。
好きなくせに、話しかけられるとつっけんどんな感じの対応をしてしまうっていう。
そんな、カッコイイ男じゃないですけど(笑)
ホントにね、常に忙しい職場だし、話しかける暇もまったくないし、もう遠くからたまに眺めてますけどね。
まぁ、どうしようもないんですけどね、ふぅ。
終わりですよ。
話、終了。
進展する事が万一あったら、続きを書きますけどね。
まぁ、ないかな(笑)
恋って苦しいね。
でも、「生きてる」って感じでイイね。
TVと予定調和
2015年、終わりますねぇ。
と、云っても?
僕は今日も明日も明後日も仕事なので、まだまだ気が抜けない感じもあるのですが。
電車に乗ると、実家に帰ったり、じっちゃん、ばっちゃんの家に遊びに行くんだろうなぁ、という子ども達やドデカイ鞄をもった人々の群れ、群れ、群れ。
こっちは大晦日も元旦も仕事ですよ。お疲れ―
こういう、仕事に終わり、仕事で始まる年末年始パタ―ンを過ごすのも22以来か。
今年は紅白も観れず。
紅白の出場歌手も曲目も発表されていたけど、僕ね、痛烈に感じたんだけどさ、「発表って、要る?」
。
だってさ、「次、誰が出てくんだろう?」みたいなのがオモシロイんじゃないの?
それを、まぁ、百歩譲って「出場歌手発表」まではいいとしましょうよ。
なんか、視聴者からの意見も人選に影響があるんだろうし(ないと思うけど)、あまりにも求められてない歌手をNHKの独断と偏見で出場させない、といった意味でも、それはイイのかも知れないけど。
(まぁ、求められてない歌手も出てるけど)
しかし、「出る順番」も「歌う曲」も発表って......
すべて予定調和なのね、ホントに。
そんなん、全然オモシロくないやんか!
まぁ、そりゃ?
視聴者からすれば、「ああ、まだ好きな歌手が出ないから、今のうちに風呂にでも入っておくかいな」みたいな感じなんでしょうけどね。
紅白は若者だけじゃなくて、じっちゃんばっちゃんも観るモノだから、そういう配慮も要るんかも知れませんが?
しっかし、詰まんないすなぁ―
ドキドキ感、ゼロ。
まぁ、昔からのやり方だし、「お前、何今更そんな事云ってんの?馬鹿じゃないの?」
って、人は云うかも知れんが。
その癖、頼みの綱は、サプライズゲストの永ちゃんや明菜だったりするんだから笑える。
(今年は誰が隠れキャラを用意出来るのか!?)
まぁ、老若男女が安心して楽しめるモノにするには、そんな感じのすべてが予定調和、すべてが出来レ―スみたいな感じじゃないとアカンっちゅ―訳なんですねぇ、きっとね。
あ、それで思い出した。
今年のレコ大って誰なんだろう?......って一瞬頭をヨギッたけど、どうでもいいねぇ(笑) ふぅ。
しょせん、僕のようなパンク小僧、及び、マイノリティの為に、世間は廻っていないと、そういうアレですな。
了解です。
でもね、小林幸子が千本桜を歌っても、ラブライブの声優グル―プが出場しても、マッチがギンギラ歌っても、別に大した驚きはない訳ですよ。
それも、発表されてなかったらまだ一瞬くらい眉毛もピクッ、と動くかも知んないけれど、全部バラされてりゃねぇ........
そりゃ、タモリも怒る訳だよ、スゴく気持ちわかります、タモリの気持ちが。
やっぱりね、今のTVってホント、過剰な予定調和がダメにしてると思いますよ。
もっとハプニング起こしていかなきゃ。
BIG3はそのへん、心得てるから、今のTVの出来る範囲内でハプニング起こそうとするもんね。
偉い!よくTVを熟知していらっしゃる。
まぁ、何を云っても、僕は今年は紅白を観れない訳ですけど、何かサプライズを期待でもしときますよ。
「視聴率が歴代最低だった」、なんてサプライズはいらんけどね。
せめて、人間らしく
「大体、日本人は忙し過ぎるんだよ。」
いきなり何だっ!って思うかも知れないが、僕が最近(いや、ここ5年間で)世間に云いたい事はこれだけである。
仕事のスピ―ドは速く!
電車のスピ―ドは速く!
料理の出るスピ―ドも速く!
電話の対応も速く!
緊急事態の対応も速く!
職場には5分前には着席し、一秒遅れたら怒鳴られる、及び、白い目で見られる。
世の中のどんなシステムも24時間稼働していて当たり前。
そうじゃなければ、「サ―ビスの質が悪い!」と云われる。
コンビニもマクドナルドもATMも修理屋も緊急コ―ルセンタ―も24時間対応でないと怒られる。
.......馬鹿か?
おまいら、もっと気持ちをゆっくりもって生きろ!!
スピ―ド、スピ―ドって、じゃあアナタ達が逆の立場で、対応する側になった場合、一秒もムダなく、いつ、なんどきであっても問題を解決、処理出来るのか?
えっ?出来る?
.....それは優秀な事で。失礼しました。
でも、そんな事もないでしょう?実は(笑)
だからさ―、全国の焦って焦って焦りまくってる人達に告ぐ。
「急いでも、騒いでも、怒鳴り散らしてみても、な―んも結果は変わりません。」
「むしろ、対応は遅くなり、更なる問題が増えるだけです。」
「スピ―ドが遅いからサ―ビスが悪い!」
「お前のおかげで損をした、どうしてくれるんだ!」
「なんでこれくらいのサ―ビスをしてくれないんだ?まったく気の効かないヤツだ!」
「お前らなんかにどうせ俺の気持ちなんか分かりゃしないだろ!他人事だと思いやがって!」
......わかった、わかった。それは、わかった。
でもね、そんな事、云うな。
みんな、必死でやってんねん。
逆にアナタならスム―ズに解決出来るの?
アナタもサボってる所はウマくサボってるでしょ?
それを棚に上げて、他人だけ責めるのはやめなさい。
今、すぐに。
悪い事は云っていない。
「諦めろ。」
もとい、
「明らめろ。」(明ら[かに見定]めろ)
人間ってのは神様でも機械でもない。
詰まり、完璧ではない。
だからこそ、美しい。
だから、もっと「人情」をもって他人に接してやってくれ。
そうして、もっとゆっくり生きろ。
「スロ―ライフ」、だ。
そんなにスッ飛ばして何処へゆく?
アナタが超スピ―ドで走り抜けた道には、沢山のキラメクような素敵な忘れモノが落ちているよ。
それに是非、気付いて貰いたい。
人生を楽しめ。
人間をもっと楽しめ。
知性を育め。
せっかく人間に生まれたんだから。
アニマルでもロボットでもない。人間だ。
時にはアニマルになったり、ロボットになったりするのも楽しいかも知れない。
でも、基本は人間なんだから。
いそいそするな。
せめて、人間らしく。
(備考)
汚ない言葉使いでスイマセンがこの際、ガツン!と云いたかったので書きました。
新しいモノ
「新しいモノなど、ない。」
これは、物創りに限った事ではなく、すべてにおいて云える事である。
大切な事だから、もう一度云います。
「新しいモノなど、ない。」
そう。
........いや、まてよ?
ない事もないか。
唯一、「新しい」、と云えるモノがあるかも知れない。
それは、「自分」だ。
いわゆる、「個性」である。
おんなじ人間はこの世には存在しない。
だから、「自分」は新しいかも知れないですね、うん。
でも、それ以外のすべての要素は、もう過去にすべてこの世になんらかのカタチで出てしまっている。
もっと云えば、この世の一番はじまり、はじめのはじめ。
そのイニシエの時代から存在していたのだ。
それを、新しい時代の、新しい人間達が、自分達の生きる時代や生活スタイルや趣味趣向に合わせて、変化させてきただけである。
だから、とりあえず、この文章では「物創り」という観点に的をしぼって話すとすれば、「過去の作品を観察する必要性」がある。
これは絶対的に必要な事である。
特に、すぐれた作品を創ろうと画策しているのなら尚更だ。
現代からいくらでもいくらでもいくらでも遡ればイイ。
そうして、それをパクればイイ。
「パクりはダメ」みたいな事を云う人が居るが、そういう人は多分、物を創ろうと思った事がないのだろう。
最初に云った。
「新しいモノなど、ない。」
そう。
絶対、何やってもかぶってる。
評価の仕方としては、「新しいかどうか」ではなく、「オモシロイかどうか」、である。
オモシロければ、世間は許す。
ただのパクりで、尚且つ、詰まらなければ串刺しにされる。
それだけの話だ。
例えば、僕はBzが好きだが、Bzは洋楽からのパクりでよく批判されているのを見る。
しかし、そんな事はオレンジレンジでなくとも、ミスチルでもドリカムでもサザンでも何でもやっている事である。
問題は、「自分のモノに出来ているかどうか」、である。
詰まり、唯一、新しいモノである「自分」。
これを、過去の作品の要素とウマく融合させる事によって、「まるで新しいモノかの様に見せかける」、というのが、せいぜいア―ティストが出来る精一杯の事なのである。
「凡人は模倣し、天才はパクる」
で、ある。
例えば、僕がBzで一番好きな曲、「ZERO」という曲。
この曲は、サビ以外の歌メロは、アメリカの人気バンド「イ―グルス」の「Victim Of Love」のメロディに酷似しているが、ウマく、日本の歌謡ロック風に変えて使用していて、感心させられる。
完成度も物凄く高い。
こうなると、批判などする気にもならない。
兎に角、結局何が云いたいかというと、すぐれた作品を創る為には、過去のすぐれた作品をもっともっと研究して、あわよくば自分のモノにしていかなければならない、という話なのである。
どうも、現代のア―ティストにはそれが足りない気がする。
勿論、彼らも当然やっているのだろうが、まだまだ甘い。甘過ぎる。
ピカソだって、黒澤明だって、ジョン·レノンだって、誰だって過去の偉大な芸術作品を沢山観て、聴いて、分析して、そうして、そこに自分の個性を混ぜて、素晴らしい作品を創りあげたのだから。
「知識が有りすぎると弊害になる」なんていう考え方もあるし、そっち方面の意見もよ―く解る。
が、基本、絵にしても、音楽にしても、映画にしても、演劇にしても、漫才にしても、ゲ―ムにしても.....まぁ、何でもいいんだが、何かの分野で「これはスゴいモノを創ったねぇ―」と云われるくらいの作品を創ろうと思えば、その分野の過去の名作に嫌というほど触れなければならない。
自己満足や、前衛的で、一般の人の理解は得られなくてもいいんだよ、ってな具合なら問題なかろう。
しかし、ある程度、大多数の人間に受け入れられるような「ポップ」な作品を創ろうと思えば、前述したような事は必須項目であろう。
今の時代はネットをはじめとして、情報はムダに得られやすい環境にある。
Youtubeなどで好きなア―ティストの作品など観ていると、関連動画が出てくる。
それをサ―フィンしていくと、自分のまったく知らなかったア―ティストに辿り着けるかも知れない。
で、辿り着くのは、いい。
しかし、問題はその後、どうするか、だ。
それが、どこの国の、どこの地域の、どういう境遇で育った人で、その人がどういう時に、どういう心境で創った、どういう分野の、どういう意味をもつ作品なのか。
そういう事を自分で探究しなければいけない。
ただ、右から左へ情報を受け流しているだけでは、それは本当に「知った」という内には入らない。
昔の人は情報が少ない分、知ったモノを何度も何度も観たり、聴いたりして、自分なりによく探究していたと思う。
今の人にはそれがどうも足りない、というのが、あくまで僕の意見である。
物や情報に不自由しない生活は、人の思考を停止させる傾向がある。
ア―ティストたるもの、もっと深く深く、地球の裏側まで掘り下げていって欲しいものだ。
じゃないと、昔の人にゃ勝てないよ。